建設中の家の中で
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2018年の6月、私は某マッチングアプリで彼女と出会った。
当初はマッチしたものの、外国人とやりとりしたことはなかったので、挨拶もせず2、3日が過ぎたが、彼女の方から、「こんにちは」とメッセージが来た。
英語も交えながらやりとりした。
お互い同い年で、旅行や映画鑑賞や飲み歩きなど共通の趣味があって、会話はそこそこ弾んだ。
彼女に会いたいと思った。
プロフィール写真の整った顔立ち、白い肌、長い金髪を後で束ねたヘアスタイル、何よりも彼女のブルーの瞳に、吸い込まれそうなほどときめいた。
JR荻窪駅で待ち合わせして、私の知っている小料理屋へ行った。
並んで歩くと思ったより小柄なことに驚いた。
そしてメッセージでは日本語を交えていたものの会話はまだ全然らしく、私は拙い英語でなんとか意思疎通した。
カウンター8席、その後ろに小さなテーブル席が2つ置かれただけのこじんまりした店だった。
仲の良いおじいさんとおばあさんがやっている家庭的な空気で、BGMはなく、天井の隅に置かれたテレビから申し訳ていどに音が出ているだけだった。
日本酒や焼酎、おでんや刺身といった、どこにでもある品書きが並んだ、ごく普通の料理屋だった。
客層はやはり年配の方が多いかったが、私は仕事終わりに上司に連れて行ってもらって以来、この店にすごく居心地の良さを感じ、それからも気が向けば店に顔を出していた。
梅酒を初めて飲んだ時の彼女の顔が忘れられない。
ラムが好きだというので、試しに勧めてみたら、はじめは不思議な表情をしたが、何口か飲むうちにすっかり舌に馴染んで、夢中になっていた。
タコワサや枝豆をちびちびやりながら私は満悦で焼酎を飲んだ。
モニカは、観光・語学留学目的で来日していた。
ハンバーガーショップと子供向け英会話スクールで働きながら、空いた時間は旅行したり近所で飲んだりと、とてもアクティブだった。
「どうして日本に来たの?」と聞いたら「セーラームーンが好きなの。
どこかで会えるかな?」と彼女はユーモアたっぷりで答えた。
それ以上詳しいことは訊かなかった。
日本文化が好きで、行ったことのない国で、一人で何かしてみたくて。
そんなことだと思うけど、別になんだっていい。
モニカは夢に生きていた。
日本に何かユートピア的な幻想を抱いていた。
私はそれを壊したくなかった。
彼女は普通が嫌いなのだ。
毎日に特別な輝きを欲しがった。
初めて会った日に、私の部屋で寝た。
中野駅から南へ徒歩10分の小さなアパート。
壊れかけのエアコンからは吐息みたいな風が流れていた。
そんなジメジメした部屋の中で、汗を流して抱き合った。
身長155センチくらいの、白人にしては小さな躰だったが、胸は随分と大きかった。
マシュマロみたいに柔らかくて、彼女が服を脱ぐまでそんなに大きとはわからなかった。
私は夢中で彼女の胸をまさぐった。
白いふわふわした宇宙みたいなところに可愛らしいピンク色がほんのりと浮かんでいる、そこに唇をこれでもかと吸い付けた。
どこを触っても感じやすく、小さな口から漏れる喘ぎ声は日本人のそれとは違い、心の底から快楽に浸る感じがして新鮮だった。
私はそれでさらに昂った。
何度も何度も抱き合った。
黄金色のポニーテールが激しく揺れた。
このまま夜が明けなければいいのにと思った。
それから週3日くらいで会うようになった。
場所はだいたい荻窪の小料理屋か、私の部屋だった。
お酒を飲んで、話して、キスして。
それだけで充分幸せだった。
モニカは音楽が好きだった。
私は若いくせに流行に疎く、最近の音楽はまるで知らなかったので、彼女からいろいろ教わった。
ビリーアイリッシュは私たちのアンセムになった。
ミニカが特に好きなミュージシャンで、日本でも有名らしい。
ビリーの曲を流しながらセックスするのを彼女は好んだ。
ちょっとダークでミステリアスな音楽は、最初は薄気味悪いと感じたがそれもすぐに慣れた。
お互い飲み歩きが好きなので、新宿のゴールデン街にもしばしば通った。
私は映画製作会社に勤めていて、自然業界人が多く集まるこの界隈によく顔を出していた。
彼女は誰とでもすぐ仲良くなった。
拙い日本語で一生懸命自己紹介した。
また、相手が英語を話そうとするときは、それがどんなに聞き苦しく思えても、ちゃんと向き合って話を聴いた。
ノリもよくて、テキーラショットで一気飲みするとか、そんな馬鹿騒ぎもよくやった。
そうして月日は流れた。
モニカが今月末で帰国すると言ったのは八月の半ばだった。
彼女がシェアハウスしている家の近くにある高円寺のコーヒーショップで、私たちはアイスコーヒーを飲んでいた。
「どうしてもっと前に言ってくれなかったの」
私は英語で訊いた。
「ソーリー…」
「好きだよ」
「アイノウ…ミートゥ─……」
「だったらどうして」
「親がどうしても帰れって言うの」
「君の気持ちは?」
「私は残りたい。でも家族と一緒にいることが一番大事だから。それがアメリカ人なの」
「日本で英語の先生になってずっと暮らすんじゃなかったの?」
「いつかはそうしたけど…まだ23なのよ。これからなんとでもなるわよ」
「君に会えないのは嫌だ。離れたくない」
「……」
私たちは暗い気持ちで店をでた。
まだ昼下がりで、それからどうやって時間をつぶしたか覚えていないが、夜になって荻窪の小料理屋へ行った。
そこで店の主人と、すっかり仲良くなった常連にも彼女は帰国することを伝えた。
ゴールデン街、高円寺のバー、中野の沖縄料理屋、私たちが行ったどこの店でも彼女はみんなに覚えられて、愛されていた。
それからの2週間私たちは楽しく過ごした。
飲み屋はどこでも彼女のためにドリンクサービスしてくれた。
毎日盛大に飲み明かした。
彼女と過ごす最後の晩は荻窪で飲んでから、中野の沖縄料理屋で過ごした。
常連たちがまだワイワイ騒いでいるなか、モニカは私を連れて店を出た。
「最後までいなくていいの?」
「良いわ。それよりも…」彼女は私の腕を引っ張って歩いた。
私のアパートとは違う方向、高円寺方面に歩いた。
早稲田通りを外れたところにその家はあった。
閑静な住宅の中にポツンとある、防音シートに覆われた建設中の一軒家。
三階建ての、骨組みと床板が敷かれただけの家だった。
梯子が掛けっぱなしだったから三階の屋根裏にあたるところまで登れた。
街灯の明かりでほんのりと暗闇に光が灯っていた。
蚊が何匹かぷーんと鳴いて飛んでいる。
屋根はまだ完成されておらず空は吹き抜けて、どんより浮いた雲の隙間から月がひょこっと顔を出していた。
私たちはキスした。
慣れた手つきでお互いの服を脱ぎ合った。
彼女の首に吸い付いた。
「woo…」
耳を甘噛みして、吐息を吹きかけた。
唇に戻ってキスした。
とろけるようなキスを繰り返した。
飛び回る蚊も気にせず、彼女の全身を味わった。
iPhoneからビリーアイリッシュを小さな音で流した。
彼女も私の全身を愛撫した。
硬くなったそれを、小さな口で頬張った。
激しく頭を上下させた。
私は黄金色のポニーテールを掴んであらあらしく揺さぶった。
これが最後と、口に出さずとも伝わる、切なさが詰まった口づけに、泣きそうになった。
前から、後ろから、何度も突き刺した。
建物が壊れるんじゃないかというくらい、激しく腰を動かした。
口に手を当てて、押し殺した声で何度も喘いだ、その姿を見て、これで最後かと、私はいっそう力を入れて抱き寄せた。
周りの通行人が見ているかもとか、隣の家の人が窓を開けて覗いているかもとか、そんなこと何も気にしなかった。
まだ私たちは23歳で、若くて、人生はこれからだった。
お互いこれから良い出会いがあるだろう、でもこんなにも愛おしい人にこの先会えるだろうか?
走馬灯のようについさっきまでいた飲み屋を思い出した。
モニカはみんなに愛されていた。
小さな躰でありったけの愛を日本に注いでくれた。
充分じゃないか。
アメリカに帰っても頑張れよ。
愛してる。
見送りに、空港へは行かなかった。
出発の当日、私は高円寺の彼女の住む家へ訪ねた。
家の前で短い挨拶をして、ハグをして、キスした。
「ソルティー」
私は言った。
「どうして?」
「涙の味がするよ」
「また会いましょう。愛してます」
彼女は日本語で言った。
晴天で、すこぶる暑い日だった。
しぶといセミが、まだ死にたくないと言わんばかりに、騒がしく鳴いていた。
私は空に浮かぶ飛行機雲をぼんやりと眺めた。